天使が消えた街 番外編 〜もう君以外愛せない〜
ハア、ハア、ハア・・・
息を切らし、一体どのくらい走り続けたのだろうか。
暴力団と警察から逃れた俺達は、ある町外れの港まで来ていた。
そこに停泊されていた、ある一艘の船。その船は長い事使われていないらしく、人が立ち寄ったあとがなかった。
俺は躊躇することなくその船の入り口のドアを蹴り破った。
「たっちゃん!いいの・・・?」
「誰も来やしねえよ・・・」
後ろで心配そうに見ていたタマキも、俺に続いて船内に入り込んだ。
中は思ったより広く、二人が寝泊まりするのに充分な広さだった。おまけに毛布や非常食、洗面所なんかも、
テレビもある。
「しばらくここにいよう」
「・・・うん」
ちょっとしたキッチンに食器まであったが、それらを使うことはないだろう。達郎はそれを軽く一瞥すると、
木の壁に背中を預け座り込んだ。そんな達郎を見ながら、タマキは明るい笑顔を見せて言った。
「結構広いじゃん。たっちゃん、いいとこ見つかって良かったね」
「・・・ああ」
素っ気無い返事をかえすと、達郎は木のテーブルの上に置いてあるテレビのリモコンを手に取りスイッチを入れた。
「・・・?」
テレビが全く反応しない。
「ふふっ・・・たっちゃん、これ」
タマキは嬉しそうにテレビのコンセントの先を見せた。そう、コンセントがさし込まれていなかったのだ。
達郎はぶっきらぼうにそれをタマキの手から奪うとコンセントをさし込んでテレビのスイッチを入れた。
3つ目に押したチャンネルでニュースをやっており、今日あった事件のことをアナウンサーが事務的にしゃべり
伝えていた。
「・・・警察では引き続き現場から逃走した若い男女の行方を追っています・・・」
じっとテレビを見ていた二人だったが、タマキはそっと達郎からリモコンを奪うとチャンネルを変えた。
何やら楽しそうに笑う人たち。最近まで楽しく見ていたバラエティー番組も、何だか遠い国のもののように感じられる。
タマキは立ち上がると達郎に笑顔で言った。
「たっちゃんお腹空いたでしょ?あたしもうペコペコだよ〜。ね、なんか作ろっか。ここキッチンあるし、ちょっと行けば
八百屋さんがあるし・・・」
「外には出るな」
「でも・・・」
「いいから出るな。用がある時は俺が行くから」
達郎は立ち上がるとキッチンの傍にある非常食を出してみた。缶詰のパンやおもち、果物・・・ミートローフや
パスタソースなんかもある。
「食うもんなんか買いに行かなくても当分あるじゃねえか。ほら」
達郎はタマキに『ぶどうパン』と書いた缶詰を投げた。
「パンの缶詰ってあるんだな〜」
達郎は更にいくつかの食べ物を抱えると先ほどの場所に座った。
「ほら、お前も食え。結構・・・まずくはねえぞ」
「・・・うん」
タマキは達郎の隣に座ると一緒になって食べ始めた。
「結局お前を巻き込んだな。ごめんな」
「たっちゃん・・・」
達郎に謝られたのなんて、初めてのことだ。タマキは優しく微笑むと首を振った。
「あたしはたっちゃんの傍にいられればそれでいいんだもん」
優しく自分を見つめるタマキに、達郎は思わず目をそらした。
いつもストレートに自分を慕ってきたタマキ。味気ないはずの非常食を以外とおいしいと感じているのは、
タマキが傍にいるおかげだと気付いていた。こんな状況なのに、どこかほっとしていることも。タマキがいてくれる
から・・・。
達郎はふとタマキの横顔を見た。本当はわかっていた。けれど、ずっと認めないフリをしていた。
タマキと出会って、兄・輝と出会って、いろんなことがあった。それまでの俺は、人生なんて考えたこともなくて、
自分なんてどうなったって、いつ死んだっていいと思っていた。親に捨てられた俺なんて、何の価値もないと・・・。
けれどそんな俺の前に、タマキは突然現れ、人懐っこく俺の心の中に入ってきた。よく知りもしない俺に
無邪気な笑顔を見せ、子犬のように俺につきまとうようになって・・・。
「・・・ん?」
「・・・いや、なんでもない」
こちらを見たタマキに、達郎は慌てて視線をそらすと食べかけのパンをパクついた・・・。
やがて深夜になり、二人とも欠伸が出始めた。パトカーのサイレンの音が一度だけ聞こえ、二人は顔を
見合わせたが、隠れ家が見つかることはなく、サイレンは遠のいていった。
少しだけ間をあけて座り、テレビを見ていた二人だったが、「俺もう寝るわ」と達郎は立ち上がり、毛布を掴むと
床の上に横になった。
「たっちゃん、そのままじゃ痛いでしょ。何か敷いて・・・」
「いらねえよ」
背中を向け黙ってしまった達郎に、タマキは自分も毛布を取ると横になろうとした。
しかし、毛布は二枚あった。達郎が自分に譲ってくれたのだ。
達郎のこんな不器用な優しさが、タマキは大好きだった。
「・・・たっちゃん、ありがと・・・おやすみ」
「・・・ああ」
タマキは横になると達郎の背中をじっと見つめた。
達郎は背中にタマキの視線を感じながら、ずっと眠ったふりをしていた・・・。
そんな生活が1週間ほど続いていた。
目覚めると、小さな窓から外の明るい陽射しが差し込んでいる。
達郎は少しだけのどの痛みを感じていた。風邪なんて引いてる場合じゃないのに・・・。
まだ眠かった。寝返りをうつと、腕に何かが当たった。
「・・・うわっ」
「・・・ん〜・・・あ、たっちゃん・・・おはよ・・・」
「おはようじゃねえだろ、お前。何でここにいるんだよ」
「いいじゃん別に・・・」
達郎は慌てて体を起こした。ノースリーブのタマキの腕や胸元にどきっとして目をそらす。
タマキは昨夜こっそり眠っている達郎の背中に寄り添って目を閉じた。少しでも達郎の傍にいたかったから・・・。
「もう朝〜・・・?ん〜、よく寝たあ・・・」
タマキは起き上がると小さくくしゃみをした。
「・・・たっちゃんの風邪がうつったかな」
「な・・・なんだよそれ」
「ううん、なんでもな〜い!」
タマキは洗面所に行き顔を洗い始めた。達郎はそんなタマキの背中をじっと見つめていた。
昨夜、母親に抱かれて眠る夢を見たのだ。あんなに安らかに眠ることが出来たのは、母親を亡くしてから
初めてのことだった。母親の胸で安心して目を閉じた幼い自分。もしかして、あれはタマキだったんだろうか・・・。
タオルで顔を拭くタマキの背中を見ていると、タマキがこちらを見た。
「・・・どうしたの?たっちゃん」
「べつに」
・・・いつだってそうだった。タマキには一度も優しくなかった自分。なのに、どうしてタマキは俺のことを好きだなんて
言うんだろう?こんな男、俺が女だったら絶対好きになんかならないのに。いや、自分が女だったらなんて、
考えたこともないけれど・・・。
俺は優しくないし、金も未来も何もない・・・。なのに・・・。
その夜遅く、洗面所でうがいをする音にタマキは目を覚ました。
「・・・あ、起こしたか」
「たっちゃん、のど痛いんでしょ。扁桃腺弱かったもんね。あたしやっぱり薬買ってくる」
起き上がったタマキを達郎が引きとめた。
「アホ、外には出るなって言ってるだろ。薬なんか飲まなくてもそのうち治るからお前は寝ろ」
「たっちゃん・・・今日ずっとぼんやりしてたじゃない。体きついんでしょ・・・?」
昼間も何度か薬を買いに出ようとしたタマキだったが、その度達郎に怒られ止められてしまった。
「たいしたことねえって」
達郎は最後のうがいを終えるとコップを置いて寝床に戻った。すると、タマキが涙を瞳いっぱいに浮かべているのに
気付いた。
「なんで泣くんだよ・・・」
「だって・・・あたしなんにもたっちゃんの役に立てない・・・。なんにもしてあげられない・・・今までも、たっちゃんが
辛い時や悲しい時も、いいからお前は帰れ、っていっつも・・・そばにいさせてくれなくて・・・なんにもできなくて・・・」
「・・・・」
「料理教室でもさ、あたし怒られてばっかでさ・・・。たっちゃんには嫌われてるし、あたしなんて生きてる意味
あるのかなって・・・。そしたらお兄ちゃんに出会ったの。お兄ちゃん言ってたじゃん、いらない部品はありませんって。
みんな大事な部品ですって。あたし凄く励まされたんだ。だから今あたしがここにこうしていられるのもお兄ちゃんの
おかげなの。お兄ちゃんのおかげで頑張れたから・・・。だから、お兄ちゃんに会わせてくれたたっちゃんにも
すっごく感謝してる。たっちゃんには迷惑だろうけど、・・・あたしたっちゃんのそばにいたい。たっちゃんが
好きだから・・・」
達郎は黙ってタマキの話を聞きながら、初めてタマキに出会ったときのことを思い出していた。
いつものように殴られ屋をやっての自転車での帰り道、くたくたに疲れてぼんやりしていた達郎は、向こうから
歩いてくる人がいることに気付くのに遅れてそのままぶつかってしまった。
「うわっ!」
「きゃあ!」
「・・・ごめん、悪い・・・」
「いえ・・・」
達郎は自転車を降りると一緒に彼女が落とした食材を拾った。すぐそばにいる女の子のふんわりとした
やわらかい香りに、どきっとして思わず道路に目を落とした時、達郎のお腹が鳴った。
「・・・ふふっ」
「・・・じゃ、俺、これで・・・」
「あ、待って」
「えっ?」
「ごはん食べてかない?拾ってくれたお礼」
「へ・・・?」
何を言い出すんだこの女。正直そう思った。ぶつかったのは俺のほうだったんだし、初対面の俺を家に呼ぶ
なんて・・・。そう派手には見えないが、人は見かけによらないし、かなり遊んでいるのかもしれない。
人を信用することなどなかった俺は、それでも彼女の人懐っこい笑顔にひかれてつい彼女の家へ
付いて行ってしまった。正直、ここのところロクなものを食べていなかったのだ。
彼女は小さなアパートに一人で住んでいた。男の気配などまるでなかった。
「テレビでも見ながら待ってて」
「・・・ああ」
達郎は言われるままに座るとテレビをつけた。やがて出来あがった料理は今までのどんな食事より
温かく、おいしくて、達郎は思わず涙が出そうになる自分に驚いて慌てて何とか涙を引っ込めた。
「・・・?どうかした?」
「いや」
「・・・どう?おいしい?」
「まあな・・・」
「ほんと?良かった〜!」
ロクに誉めてもいないのに、彼女はとても嬉しそうに笑った。
「おかわりあるから沢山食べてね」
「・・・あのさ」
「なあに?」
「おたく、ほんとに俺に食わせるためだけにここに連れて来たの?」
「そうだよ」
「そんなに腹減ってそうだった・・・?」
「うん、すっっごく。・・・お腹も心も・・・なんて。どんなに落ち込んだりしてもさ、あったかいご飯食べると
元気出るじゃん?あたし、人を元気にするご飯作りたいんだ」
「・・・!」
俺は思わず彼女の顔を見た。くったくなく笑い、おいしそうにご飯を食べているこの女の子は、俺が自分を
襲うんじゃないかとか、きっとそんなことはちっとも考えてはいないのだろう。
俺は急に恥ずかしくなって立ち上がった。
「あれ、どうしたの?」
「・・・ごちそーさん。帰るわ」
「え・・・」
彼女にお礼も言わずに俺は彼女のアパートを出た。それが最初の出会いだった。
それからまた偶然街中で会い、タマキは殴られ屋をしている俺を見に来るようになった。何度か客にもなった。
「ストレス溜まってるんだ〜」と笑っていたが、俺の借金を気遣ってのことだとちゃんと気付いていた。
タマキの純真さに触れる度に、俺はタマキがまぶしくてしょうがなかった。いつだっただろう、タマキが
自分を想ってくれていると気付き始めたのは・・・。しかし、俺は決してタマキを受け入れることが出来なかった。
ずっと求めていた温もり、愛・・・。それをタマキは惜しみなく俺に注いでくれるだろう。だからこそ、タマキを
受け入れることが、自分の世界に踏み入れさせてしまうことが怖かった。タマキには夢がある。
未来も希望もある。金のある優しい男と、いくらでも幸せになれるんだ・・・。ずっとそう思っていた。
いや、自分に言い聞かせてきた。でも・・・。
達郎は立ち上がるとタマキの隣に行き、座ってタマキの涙をそっと指で拭った。
そして、タマキの頬に触れながら、そっとキスをした。
達郎の行動に、タマキは驚いて達郎を見た。達郎がこんなに優しくしてくれたことは今までなかったから・・・。
「たっちゃん・・・?どうしたの?」
いつも達郎に邪険にされてばかりいたので、タマキは喜ぶよりも先に驚いてしまった。達郎はそんなタマキに少し
罪悪感を感じながら、そっとタマキを引き寄せ額をこつんと合わせた。
「一回しか言わねえからな」
「えっ・・・」
「お前が好きだ」
「・・・!」
「お前が欲しい・・・」
「たっちゃん・・・」
タマキの目から涙が溢れた。二人はきつく抱き締めあった。
「たっちゃん・・・好きだよ。大好き・・・」
達郎はゆっくりとタマキを床に倒した。
「痛くないか・・・?」
「平気・・・」
タマキは微笑むと首を振り、達郎の首に手を回した。目を閉じたタマキに、達郎は優しく、深く、唇を重ねた・・・。
次の日、達郎が目覚めたのはもう朝10時近い頃だった。タマキに腕枕をしていたので、腕のしびれを感じて
思わず顔をしかめ、ゆっくりと腕を外した。タマキはまだ隣で眠っている。達郎は反対の手でそっとタマキの髪を
なでた。タマキを必要としているのは俺のほうだったんだ・・・。
愛しくてたまらない。きっともう、二度とこんな恋は出来ない。こんなに人を信じ、愛することはもうないだろう。
たとえどんなひとが現れても・・・。
「愛してるよ・・・。なんてな」
タマキの寝顔にそっとつぶやく。面と向かっては絶対に言えないセリフ・・・。
いつ捕まるかわからない身の上を不安に思い、達郎はタマキを見つめた。
幸せにしてやりたい。いつまでもタマキの笑顔を見ていたい。でも、俺達に未来はあるのだろうか・・・。
タマキが川崎の達郎の部屋に行き、暴力団に脅されクラブへ出向いたのは、それからほんの数日後のことだった・・・。
−END−
